良移心当流(読み)りょういしんとうりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「良移心当流」の意味・わかりやすい解説

良移心当流
りょういしんとうりゅう

近世柔術の源流的役割を担った流派で、流祖は福野七郎右衛門正勝(ふくのしちろうえもんまさかつ)(生没年不詳)。福野流ともいう。七郎右衛門の伝はつまびらかではないが、丹波(たんば)の出身とか、近江(おうみ)大津の産、摂津浪華(なにわ)(大坂)の人などの諸説があり、若狭(わかさ)・丹後京極(きょうごく)氏の旧家臣とみられ、相撲(体術)の名手で、大坂の役後、一時彦根候に仕えたが、ゆえあって浪人し、山城(やましろ)国粟田口(あわたぐち)(京都市)に住んだという。かつて柳生宗厳(やぎゅうむねよし)・宗矩(むねのり)父子に師事して新陰流兵法を学び、その心法をもって「我一通りの得利(とくり)」として、角見(かどみ)・天地(てんち)・身当(しんとう)・四季(しき)・左右嵐(さゆうあらし)の五つの心持を大事(だいじ)として和(やわら)の術をくふうし、良移心当和(やわら)と名づけて、1622年(元和8)の春、その目録1巻を編成して宗矩に献呈している。さらに26年(寛永3)ころ、親交のあった漢詩家の石川丈山(じょうざん)の紹介で江戸芝西久保の国昌寺(こくしょうじ)に滞留中の明(みん)人陳元鬢(ちんげんびん)に会い、中国の拳法(けんぽう)の教授を受け、当之巻(あてのまき)1巻を加え、摩・誥・衝・推・葵拳など七か条を唯授一人の極秘とし、柔術流儀の体裁を整えた。

 門人のうち、寺田平左衛門(貞心(ていしん)流和)、茨木(いばらぎ)又左衛門俊房(としふさ)(起倒(きとう)流乱(みだれ))、長浜仁左衛門(ながはまにざえもん)(心当和)らが傑出した。仁左衛門の門人黒沢丹宮(くろさわたみや)を経て、筑前(ちくぜん)黒田藩の笠原(かさはら)四郎兵衛によってその再興が図られた。正徳(しょうとく)年中(1711―16)筑前浪人森八郎右衛門によって久留米(くるめ)藩に伝えられ、同藩では良移心当流と称して幕末に及んだが、1883年(明治16)中村半助(はんすけ)、仲段蔵(なかだんぞう)、上原省吾(うえはらしょうご)の3人が警視庁柔術世話役に抜擢(ばってき)されて流名をあげた。

[渡邉一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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