舟子村(読み)ふなごむら

日本歴史地名大系 「舟子村」の解説

舟子村
ふなごむら

[現在地名]池田町舟子

だん村の北西かす川右岸に立地する。天正一七年(一五八九)一一月二一日付豊臣秀吉の美濃国御蔵入目録(内閣文庫蔵)に「ふなこ村」とあり、高二二石。慶長二年(一五九七)の池田野山年貢割帳(阿子田文書)に舟子村とみえ、入会の大津谷おおつだに山への立入人馬数は三人・六匹となっている。慶長郷帳では高二三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では松平忠良(大垣藩)領。正保郷帳では尾張藩領で、田二二石余・畑一一石余、山年貢・野年貢合せて一石余、ほかに山札米三斗余があった。

舟子村
ふなこむら

[現在地名]美浦村舟子

木原きはら村の北西に位置し、霞ヶ浦に面する。船子とも記す。応安年間(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)に「ふなこの津一方東条能登入道」とある。江戸時代は天領旗本領で、元禄郷帳の村高は一千二七石余。幕末は天領四四〇石余、十人組与力梁田氏給地六一五石余(各村旧高簿)。元禄一六年(一七〇三)九月一六日の霞ケ浦四十八津返答口上書(舟串家文書)に「舟子村源五郎」とみえ、享保一一年(一七二六)一一月の霞ケ浦浦方議定書(同文書)に「組頭船子村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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