舞狂村(読み)ぶきようむら

日本歴史地名大系 「舞狂村」の解説

舞狂村
ぶきようむら

[現在地名]八鹿町舞狂

円山まるやま川を挟んで上網場かみなんば村の東方対岸に位置し、南は大藪おおやぶ(現養父町)集落は舞狂山の山麓斜面に発達。文禄四年(一五九五)出石いずし(現出石町)に入部した小出吉政(のち出石藩主)の所領となる。元禄九年(一六九六)出石藩小出家は無嗣絶家となり、同藩領はいったん収公されたが、翌一〇年松平(藤井)忠周が武蔵国岩槻いわつき(現埼玉県岩槻市)から移って出石藩主に就任すると再度出石藩領となった。嘉永四年(一八五一)同藩領の村替えで幕府領となり、同領で幕末に至った(「小出氏系譜」山田家文書、「寛文朱印留」、宝永三年「仙石政明知行目録」仙石家文書、「御用部屋日記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android