摂津国絵図(読み)せつつのくにえず

日本歴史地名大系 「摂津国絵図」の解説

摂津国絵図
せつつのくにえず

二二五×二四九センチ

成立 慶長一〇年

写本 西宮市立図書館

解説 慶長一〇年幕命により作製された国絵図。作製に至る経緯については和泉国絵図の項参照。作製は摂津国奉行片桐且元のもと、大坂衆の伏屋飛騨守・水原石見守が担当。絵図には村名・村高(石以下まで)が記され(東成郡・住吉郡の村は村名のみ)、高頭目録には郡名・郡高・郡田畑面積の合計、一国の総高、田畑総面積と田畑別総石高・総面積を記載するほか、小物成や寺社領の石高合計を示す。ただし東成郡住吉郡の郡高そのほかは記載されず、「欠郡内東成分 河内国御帳入」とある。なお当絵図に記された村名・村高、高頭目録の数値は慶長一〇年段階のものとみられるが、景観は元和八年頃、ないしはそれ以後の状況を描いたものとする説がある。「地域史研究」(尼崎市立地域研究史料館紀要)第一〇巻第一号に文字部分の翻刻がある。

摂津国絵図(慶長国絵図)
せつつのくにえず

二二五×二四九センチ

成立 慶長一〇年一〇月

原図 西宮市立郷土資料館

解説 肉筆彩色画。幕命により摂津国奉行片桐且元のもとで作られた、全国でも数少ない慶長国絵図の現物である。村名は郡別に色分けして記される。数村を一括し一村高で記載する例がかなりあり、村切未完の状況がうかがえる。山・川の地形、町場、街道一里塚の印、名所旧跡を描き、一隅に郡別の高・面積・里数と国集計を記す。国高二九万六八石余・里数八八七村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報