羽ノ浦町(読み)はのうらちよう

日本歴史地名大系 「羽ノ浦町」の解説

羽ノ浦町
はのうらちよう

面積:八・五二平方キロ(境界未定)

那賀郡東半の西部にあり、北・西を小松島市、東を那賀郡那賀川なかがわ町に接し、南は東流する那賀川を境に阿南市。町域の大部分を那賀川下流域の沖積地が占め、北西から西へと羽ノ浦丘陵が連なる。北部には独立丘陵の能路寺のろじ山・観音かんのん山などが点在する。ほぼ中央部を国道五五号が縦断し、北西から南東へJR牟岐線が走り、宮倉みやぐらに羽ノ浦駅が設けられている。

かつて弥生時代の遺物が出土したといわれるが、旧石器時代から弥生時代に至る遺跡は現在では確認されておらず、宮倉に能路寺山のろじやま古墳群、中庄なかのしよう観音山かんのんやま古墳などがあり、いずれも後期古墳で横穴式石室を内部主体とする。宮倉の寺田山てらだやま古墳群は春日野かすがの団地造成により消滅した。宮倉を安閑天皇二年五月「阿波国春日部屯倉」の置かれた地とする説があり、同所にあった熊野権現(現在羽ノ浦神社へ合祀)を「延喜式」神名帳記載の那賀郡の小社「和耶ワヤノ神社」に比定する説もある。律令制下では那賀郡に属し、平安末―鎌倉時代以降は東部は那東なとう郡、そのほかは那西なさい郡に属したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報