義邑(読み)ぎゆう(英語表記)yì yì

改訂新版 世界大百科事典 「義邑」の意味・わかりやすい解説

義邑 (ぎゆう)
yì yì

中国,南北朝より隋・唐・五代に在家仏教信者が組織した信仰団体。時期により邑会,法社,社邑などとも呼称される。構成員が協同功徳を積み行う具体的行為として造像,造寺,修寺などの事業を行った。唐代中頃からはもっぱら社邑という名称が一般的となり,その事業内容も小規模な造像,造経幢,斎会,誦経写経,俗講支援といった比較的経済負担の軽微なものへと変化していった。その組織は社僧以下,社長・社老・録事・虞候といった幹部と,社子・社人・社戸と呼ばれる一般構成員より成り,特定寺院に専属することが多かった。したがって,社邑の設立や維持に寺院が経済的援助を与えることも少なくなく,寺院と地域社会との密接な関係,寺院の地域的な特殊な勢力を物語る。唐代後半以降の,とくに社邑については,20世紀初めに発見された敦煌文書の研究の結果,初めて具体的な組織や寺院との諸関係が明らかにされたものである。
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