群来村(読み)くきむら

日本歴史地名大系 「群来村」の解説

群来村
くきむら

[現在地名]古平郡古平町大字群来町

明治初年(同二年八月―同六年の間)から同三五年(一九〇二)まで存続した村。入船いりふね町の北にあり、南は丸山まるやま岬、北は海岸線が続く。明治六年の「後志国地誌提要」に群来村とみえ、戸数一四(平民一二・古民二)、人口三八(平民三二・古民六)、寄留戸数四(平民)・人口一四八(うち男一三二)、三半船一〇・保津船二〇・磯船一七。同六年の建網八投・差網一七五放(原田家文書)。同二一年群来小学校の創設を企図したがならず、同二二年新地しんち小学校群来分校が開校した(同三六年群来尋常小学校として独立)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報