美崎御嶽(読み)みしやぎいおん

日本歴史地名大系 「美崎御嶽」の解説

美崎御嶽
みしやぎいおん

[現在地名]石垣市登野城

那覇地方裁判所石垣支部の西側にある。ミシャギィオンという。王府時代には道を隔てた西向いに登野城とうぬすく村番所、その西には八重山の行政庁であった蔵元があった。また南には年貢積出港で造船所も備えていた美崎みしやぎい泊があった。御嶽は海岸から一〇〇メートルほどの所にあったが、近年の埋立で海からは遠く隔たった場所になっている。明治時代まで一帯は海岸性の植物・樹木の繁茂する密林であった。八重山第一の御嶽で、蔵元の行う祭礼の主祭場であった。「琉球国由来記」によると御嶽の神名は大美崎トウハ(大いなる美崎トウハ)、イベ名は浦掛ノ神ガナシ(湊を領護する神様)。御嶽創建の由来は弘治一三年(一五〇〇)の首里王府による八重山征服、いわゆるオヤケアカハチ事件と深くかかわる。アカハチの抵抗を鎮圧した王府軍が帰還の準備をしている時、長田大主の妹真乙姥まいちいばーが神がかりし、王府の軍船数十艘がいずれも那覇に安着することを託宣した。真乙姥は美崎みしやぎい山に籠り、身命を賭して神託の実現を祈った。祈祷中に憔悴し人事不省の状態に陥っていた真乙姥を助けたのが平得ぴいさい村の多田屋オナリで、甲斐あって王府の軍船は無事那覇へ帰着した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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