縄地村(読み)なわじむら

日本歴史地名大系 「縄地村」の解説

縄地村
なわじむら

[現在地名]河津町縄地

谷津やつ村の南にあり、三方を山で囲まれ、東は相模灘に面する。南は白浜しらはま(現下田市)、西は落合おちあい(現同上)東浦ひがしうら路が通る。平地が少なく、集落は山際に形成されている。縄地金山がある。北条氏所領役帳には河越衆大道寺弥三郎の所領として四〇貫文「縄地」とあり、もと大藤氏の知行地であった。江戸時代の領主の変遷は笹原ささはら村と同じ。元禄郷帳では高一四五石余。寛永一〇年(一六三三)の年貢割付帳(明治大学刑事博物館蔵)によると高一三七石余、うち一〇五石余銀山荒引。慶長一三年(一六〇八)覚書(国立史料館蔵)には「なわち家数多出来候」とある。「掛川誌稿」によると家数九〇・人数五五三、金山の最盛時には家数一千余であったが金山が閉山となり、一村が焼払われたと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android