紀伊国分寺跡(読み)きいこくぶんじあと

国指定史跡ガイド 「紀伊国分寺跡」の解説

きいこくぶんじあと【紀伊国分寺跡】


和歌山県紀の川市東国分にある国分寺跡。紀ノ川下流域の北岸に形成された河岸段丘の南端部に位置する。1928年(昭和3)に塔跡を中心にした一部が国の史跡に指定されたが、1973年(昭和48)からの発掘調査で寺域や伽藍(がらん)配置、規模が確認されたため、1988年(昭和63)に史跡指定の範囲が拡大された。紀伊国分寺は741年(天平13)、聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)により造営が開始され、756年(天平勝宝8)に主要伽藍が完成した。創建当時の境内は不明だが、講堂跡を中心に2町(約218m)四方が境内の名残を示している。879年(元慶3)に火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。その後、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建され根来寺(ねごろじ)の末寺になった。1585年(天正13)には織田信長・羽柴秀吉による紀州征伐で、根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍を再び焼失したが、元禄年間(1688~1704年)に本堂が再建された。近年、この寺跡は基壇の復元造成や史跡緑地公園としての整備が行われたが、塔跡の17個の礎石は創建当時のまま残っている。新義真言宗に属する現在の紀伊国分寺は、旧紀伊国分寺の講堂跡に位置し、周辺は、史跡紀伊国分寺跡歴史公園として整備されている。JR和歌山線下井阪駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報