粟鹿村(読み)あわがむら

日本歴史地名大系 「粟鹿村」の解説

粟鹿村
あわがむら

[現在地名]山東町粟鹿

粟鹿山北麓、粟鹿川の源流域にあり、西地にしじ西谷にしだに比叡ひえひがしに分れる。「和名抄」に記す朝来郡粟鹿郷の遺称地で、式内社の粟鹿神社が鎮座する。「応仁記」によれば、応仁二年(一四六八)三月二〇日、丹波の長九郎左衛門尉政連・丹波内藤孫四郎や足立芦田・夜久諸氏らの細川方の軍勢が、竹田たけだ(現和田山町)城主の太田垣土佐守父子の留守に乗じて、丹波から「一品、粟鹿、礒部」に乱入したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報