粕谷義三(読み)かすや・ぎぞう

朝日日本歴史人物事典 「粕谷義三」の解説

粕谷義三

没年:昭和5.5.4(1930)
生年:慶応2.8.15(1866.9.23)
明治から昭和期の政党政治家。名主橋本要作,とりの長男として武蔵入間郡藤沢村(埼玉県入間市上藤沢)に出生。漢学塾に学び村吏,郡吏を経て明治19(1886)年渡米,ミシガン大学でバチェラー・オブ・ロー(法学士)の学位取得。帰国後『自由新聞記者となり,また24年入間郡扇町屋(入間市)の粕谷家の養子となった。県会副議長などを務めたのち,第5回総選挙から12回衆院議員に当選。立憲政友会所属し,その埼玉支部長となる。大正9(1910)年衆院副議長,12年から昭和2(1927)年まで同議長。武蔵野銀行重役となるなど実業界でも活躍。書をよくし,雅号を竹堂という。<参考文献>関柢二編『竹堂粕谷義三伝』

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粕谷義三」の解説

粕谷義三 かすや-ぎぞう

1866-1930 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応2年8月15日生まれ。板垣退助の「自由新聞」主筆となる。埼玉県会議員をへて明治31年衆議院議員(当選12回)。自由党,憲政党をへて政友会に所属,幹部として党務につくした。大正12年衆議院議長。昭和5年5月4日死去。65歳。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)出身。ミシガン大卒。旧姓は橋本。号は竹堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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