橋本(読み)はしもと

精選版 日本国語大辞典 「橋本」の意味・読み・例文・類語

はし‐もと【橋本】

[1] 〘名〙 橋のたもと。はしづめ。
※木工権頭為忠百首(1136頃)桜「うへしより橋本さらぬをそ桜春のくれをやまちわたるらん源仲正〉」
[2] (木食応其(もくじきおうご)が長橋をかけたことによる) 和歌山県北東部の地名。安土桃山時代から紀ノ川上流の河港および伊勢街道高野街道交点にある高野山参拝の宿場町として発展。カキ・ブドウを産し、また、釣りざおなど竹工芸が盛ん。昭和三〇年(一九五五市制

はしもと【橋本】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「橋本」の意味・読み・例文・類語

はしもと【橋本】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「橋本」姓の人物
橋本治はしもとおさむ
橋本峨山はしもとがざん
橋本雅邦はしもとがほう
橋本関雪はしもとかんせつ
橋本国彦はしもとくにひこ
橋本左内はしもとさない
橋本忍はしもとしのぶ
橋本進吉はしもとしんきち
橋本宗吉はしもとそうきち
橋本平八はしもとへいはち
橋本明治はしもとめいじ
橋本龍太郎はしもとりゅうたろう

はしもと【橋本】[地名]

和歌山県北東部の市。古来、紀ノ川の舟運や高野こうや街道・伊勢街道などの交通の要地。竹製品、特に釣りざお作りが有名。平成18年(2006)3月、高野口こうやぐち町と合併。人口6.6万(2010)。

はし‐もと【橋本】

橋のたもと。橋詰め。
「植ゑしより―さらぬ遅桜春の暮れをや待ちわたるらむ」〈木工権頭為忠百首〉

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改訂新版 世界大百科事典 「橋本」の意味・わかりやすい解説

橋本[市] (はしもと)

和歌山県北東端にある市。2006年3月旧橋本市と高野口(こうやぐち)町が合体して成立した。人口6万6361(2010)。

橋本市西端の旧町。旧伊都郡所属。人口1万4600(2005)。北は大阪府に接する。紀ノ川上流の北岸に位置し,町域は南から紀ノ川沿いの発達した河岸段丘,丘陵地,和泉山脈からなる。大和街道と高野街道の分岐点に当たり,高野山に登る紀ノ川の渡し場として発展,対岸の九度山対向集落をなした。1908年国鉄(現JR)和歌山線の開通で高野参りの乗降地として栄えたが,24年開通の南海高野線は通らず,観光面では衰えた。紀ノ川に沿って国道24号線が通る。川上木綿の伝統を受け継いだ織物工業が基幹産業で,特にパイル織物を発展させたシール織物は有名で,海外へも輸出されている。重要文化財の三彩壺が名古曾で発掘された。北部はかつらぎ高野山系県立自然公園に含まれる。
執筆者:

橋本市中東部の旧市。紀ノ川が中央部を西流,その中流部北岸の河岸段丘面に市街地が形成されている。1955年市制。人口5万3929(2005)。古来,大阪方面から高野山への高野街道と,和歌山から大和への大和街道が十文字に交差し,かつ紀ノ川水運の河港でもあった。古くは市域西部に高野山領相賀(おうが)荘,北東部に石清水(いわしみず)八幡宮領隅田(すだ)荘があった。隅田荘荘官隅田氏は中世には武士団として勢力を伸ばしたが,その氏神とされたのが,人物画像鏡(国宝)で著名な隅田八幡宮である。橋本は天正年間(1573-92)後期に高野山の木食応其(もくじきおうご)が町場を開き,高野参詣の宿所としたのに始まる。応其は紀ノ川に130間の橋を架け,この地を橋本と名づけたという。塩売買の市の特権も認められて町は発展した。紀州藩は代官所や船改番所を置き,塩市も保護し,藩内で生産された塩はすべて橋本を経由して搬出されていた。神野々(このの)廃寺,古佐田廃寺など白鳳期の寺院跡があり,高野街道沿いの学文路(かむろ)は謡曲《高野物狂》,説経《苅萱》にまつわる伝説の地。大阪から紀見峠を越える高野街道は,紀見トンネルの開通で国道170号線となり,また大和街道も国道24号線として整備され,JR和歌山線,南海高野線も走り,現在も交通の要衝である。近年は大阪の近郊住宅地化が進んでいる。
執筆者:

橋本 (はしもと)

遠江国敷智(ふち)郡にあった中世の宿駅。現在の静岡県湖西市の旧新居町浜名付近に比定される。浜名川にかかる浜名橋のたもとにあったため橋本(橋下)と呼ばれ,古代,中世には東海道の宿駅として栄えた。1190年(建久1)の源頼朝上洛の際も当地に宿泊し,遊女などが群参したという。紀行文などにもしばしば現れ,また軍事上の要衝でもあったが,1498年(明応7)の大地震,1510年(永正7)の大津波のため宿駅としての機能を失い,以後新居(あらい)にその地位を譲った。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橋本」の意味・わかりやすい解説

橋本
はしもと

京都府八幡(やわた)市の一地区。宇治(うじ)川、木津(きづ)川、桂(かつら)川が合流して淀(よど)川となる地の南岸に位置する。地名は、僧行基(ぎょうき)が対岸山崎(大山崎町)との間に架橋したという伝説に由来する。江戸時代には伏見(ふしみ)から大坂に向かう京街道の宿場として栄え、遊郭もつくられた。昭和半ばまで対岸とを結ぶ渡船場が残っていた。京阪電鉄本線の橋本駅がある。

[織田武雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橋本」の意味・わかりやすい解説

橋本
はしもと

神奈川県北西部,相模原市北東部の地区。 1958年日本最初の内陸工業団地が造成され,機械,自動車,電機などの工場が進出した。 JR横浜線,相模線,国道 16号線,129号線などが集中する。県北の交通の要地であったが,さらに京王電鉄相模原線の開通により周辺の開発が進められた。

橋本
はしもと

京都府南部,八幡市の一地区。淀川南岸に位置し,かつて河港として栄えた。古代には大和から山陰へ向う街道の渡河点となり,行基によって橋がかけられ,それが地名の由来となった。河港としての繁栄につれ近世には歓楽街が形成され,第2次世界大戦後まで存続した。現在は住宅地区となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の橋本の言及

【浜名湖】より

… 浜名湖の成因は,三方原,高師原,天伯原などの洪積台地の浸食谷が沈降や海面の上昇により沈水したのち,湾口を天竜川からの漂砂による砂州でふさがれたもので,南半部は砂質堆積物からなり,イカリ瀬,大瀬,八兵衛瀬などの浅瀬が多く,北半部は泥質堆積物からなり,水深も6~12mと深く沈水性を示している。外海とは砂州を切る浜名川が通じ,湖畔には旧東海道の橋本宿があった。1498年(明応7)の地震津波により砂州が破壊され,今切口の開口部が生じ汽水湖となった(今切渡)。…

※「橋本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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