篠尾村(読み)しのおむら

日本歴史地名大系 「篠尾村」の解説

篠尾村
しのおむら

[現在地名]福井市篠尾町

足羽川右岸、吉野よしのヶ岳南西麓に位置し、山麓沿いに東は高尾たかお村、西は成願寺じようがんじ村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高九九七・七七一石。正保郷帳によれば田方五六九石余・畠方四二七石余。福井藩領。篠尾古墳群・篠尾廃寺跡などがあって古くから開発された地と思われ、酒生さこう(左近)用水の開発者と伝える左近長者の伝説もある。

篠尾村
ささのおむら

[現在地名]竹田市門田もんでん

玉来たまらい村から中尾なかお村を経て日向高千穂たかちほ(現宮崎県西臼杵郡)へ至る道に沿い、北東河宇田かわうだ村、南は山田やまだ村。笹尾とも記される。正保郷帳に篠野尾村とあり、倉木くらき郷に属し、田方八八石余・畑方七八石余で、柴山有と注記される。弘化物成帳では門田組のうち、村位は上、免八ツ九分、田一四四石余(一二町一反余)・畑六四石余(九町五反余)・屋敷九石余(九反余)で、開田三斗余(一反余)・開畑一石余(二町五反余)がある。

篠尾村
ささびむら

[現在地名]熊野川町篠尾

西敷屋にししきや村の北方にあり、四方を山に囲まれ、熊野川の支流篠尾川が村内を南流。大森おおもり(一〇四四・九メートル)甲森にしきがもり(九八六・八メートル)を境として北は大和国。慶長検地高目録に「蕨尾村」とあり、村高八〇石余、小物成一・九一五石。天保郷帳で一五一石余と村高が倍増するが理由は不明。敷屋組に属し、和歌山藩新宮領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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