等春(読み)とうしゅん

朝日日本歴史人物事典 「等春」の解説

等春

生年生没年不詳
室町後期の画家。等春の事跡を示すほとんど唯一の史料は,のちに等春に私淑した桃山時代長谷川等伯による『等伯画説』である。それによれば,奈良の大工の子で,雪舟弟子となり,師と共に加賀能登(石川県)を訪れ,守護大名富樫氏,畠山氏と交流を持ったという。代表作の景徐周麟賛「花鳥人物押絵貼屏風」(個人蔵)は,大内義興が所蔵したものであり,師雪舟同様大内氏との交流もうかがわれる。また「瀟湘八景図」(正木美術館蔵)は,南宋末・元初の画家玉澗 の作風にならった溌墨山水図の優品として高く評価される。雪舟と長谷川等伯をつなぐ重要な画家である。<参考文献>田中一松「等春画説」(『日本絵画史論集』)

(山下裕二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「等春」の解説

等春 とうしゅん

?-? 戦国時代の画家。
備前(岡山県)の人ともいうが,長谷川等伯(とうはく)の「等伯画説」によれば,奈良の大工の子。晩年の雪舟等楊(せっしゅう-とうよう)の弟子となり,師にしたがって加賀・能登(のと)へ旅をしている。門人に等伯の養父長谷川宗清(むねきよ)がいる。永正(えいしょう)-天文(てんぶん)(1504-55)ごろの人。作品に「花鳥人物押絵貼屏風(おしえばりびょうぶ)」「瀟湘(しょうしょう)八景図」など。

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