竹袋村(読み)たけふくろむら

日本歴史地名大系 「竹袋村」の解説

竹袋村
たけふくろむら

[現在地名]印西市竹袋・木下きおろし木下東きおろしひがし

現市域の北端部に位置。利根川右岸には木下河岸が置かれ、行徳ぎようとく(現市川市)方面への木下道と佐原・銚子方面への銚子道が分岐する。河岸付近は町並を形成し、「利根川図志」などにその様子が描かれる。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図には高袋とみえる。「利根川図志」によると、当地の天台宗三宝さんぽう院の応仁元年(一四六七)銘の如意輪観音像胎内納経奥書に「竹袋の神□寺」とみえ、同寺の祐善が本願となって納経している。元亀二年(一五七一)一〇月の年貢免状(下総国古文書)に「下総国埴生西印西之嶋 臼井領内竹袋郷」とある。

慶長七年(一六〇二)七月の検地帳(吉岡家文書)によれば反別三九町二反余が打出され、高三二六石余。検地帳には臼井領印西庄竹袋郷とあり、名請人三二のうち屋敷持一二。寛永期(一六二四―四四)の検地分は古新田とよばれ、寛文一二年の年貢割付状(同文書)では高三四二石余・四二町三反余。同一三年の検地帳(同文書)の名請人六八、ほかに年々田畑とよばれる新開七町九反余・新々田畑二六町六反余があり、計七六町九反余・五三八石余。初め幕府領であったが、元禄一一年(一六九八)より旗本阿部・三枝・飯高三氏の相給。元禄郷帳では高五四七石余。元禄一四年佐倉藩領となり、享保八年(一七二三)以降は山城淀藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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