竹腰正信(読み)たけのこし まさのぶ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹腰正信」の解説

竹腰正信 たけのこし-まさのぶ

1591-1645 江戸時代前期の武将
天正(てんしょう)19年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩初代藩主徳川義直(よしなお)の同母兄。徳川家康につかえる。慶長17年成瀬正成(まさなり)とともに名古屋藩付家老となり,のち美濃(みの)(岐阜県)今尾3万石を領した。正保(しょうほ)2年4月30日死去。55歳。名ははじめ正次,正徳通称は小伝次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の竹腰正信の言及

【尾張国】より

…翌年検地実施,高47万2344石と定まる。11年親吉の死後,成瀬正成に犬山城を与え竹腰正信とともに執政として藩政に当たらせた。形式的な領主は義直であるが,実質は家康の直轄国である。…

【竹腰氏】より

…尾張徳川家の老臣の家。宇多源氏佐々木信綱から出た。正信(初名万丸,小伝次)は尾張家初代徳川義直と同母兄弟の関係で,1607年(慶長12)成瀬正成とともに幕臣より付属されて以来,代々付家老(つけがろう)と呼ばれる藩制最高の両家年寄に就任,藩政の指導監督にあたり,美濃国今尾にて3万石を受けた。5代正武,9代正富の事績は尾張藩政に特筆される。1868年(明治1)藩屛に列せられた。のち男爵。【林 董一】…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」