竹中村(読み)たけなかむら

日本歴史地名大系 「竹中村」の解説

竹中村
たけなかむら

[現在地名]大分市竹中 上竹中かみたけなか中竹中なかたけなか下竹中しもたけなか

大野川左岸の村で、北は冬田ふゆだ村。天面てんめん(四〇三メートル)北麓の山岳地帯。江戸時代を通じて肥後熊本藩領。慶長六年(一六〇一)五月三日の「河原内竹中村」に対する加藤清正掟書案(橋本楠男文書)があり、隣郷の百姓との喧嘩、田畑耕作の放棄などを禁じ、逃亡した百姓は帰村させること、他郷からの逃散百姓を置かないこと、年貢等の負担で定められた額以外は代官・給人からの命でも納めてはならないことなどが定められている。寛永一一年(一六三四)の同藩豊後国郷帳によると高四七〇石余。正保郷帳によれば田高二二七石余・畑高二四三石余、戸次へつぎ庄に所属。初め冬田手永、延宝三年(一六七五)から高田手永山奥在九ヵ村の一。「肥後国誌」によると上・中・下に分れており、中竹中村は中畑なかはた村と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報