福田井堰
ふくだいせき
家原村庄屋山本平兵衛が、多可郡和布新田村(現西脇市)から古川村(現小野市)までの加古川左岸に計画した井堰。家原村をはじめとする福田庄の村々(現社町の中央部から南部)は、加古川の支流千鳥川だけに頼る旱魃常襲地帯で、近世以前から深刻な水論が頻発していた。天明元年(一七八一)平兵衛は和布新田村から揚水して加古川左岸に幅二間の水路を掘り、多可郡高松山村(現西脇市)、曾我村・多井田村・新町(現滝野町)、中村・家原村・鳥居村・田中村・中古瀬村を貫流させて古川村で東条川へ落す井堰の計画を立案。私費を投じて実地測量を重ね、詳細な設計図を作成した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報