福正寺(読み)ふくしようじ

日本歴史地名大系 「福正寺」の解説

福正寺
ふくしようじ

[現在地名]栗東町六地蔵

高野山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、もとは多喜たき山北東中腹にあり、金勝こんしよう寺の別院多喜寺の一院であったが、寛正二年(一四六一)正善蓮如帰依して真宗に改宗。正善は越前吉崎よしさき(現福井県金津町)まで随従するが、文明七年(一四七五)蓮如の吉崎退去に伴い、故地の道場に帰ったという。「金森日記抜」には「文正元年ノ秋ノ末ニ栗太高野ノ邑ノ善宗・正善ノ道場福正寺ノコトナリニワタラセ」たとあり、寛正六年延暦寺衆徒による大谷本願寺破却後、文正元年(一四六六)蓮如が一時当寺に滞留したようである。実如から正善に下付された絵像裏書干支より永正一〇年(一五一三)と推定でき、「癸酉九月三日、江州栗太郡高野郷六地蔵福□寺物也」と判読できる(近江栗太郡志)

福正寺
ふくしようじ

[現在地名]守山市赤野井町

金剛山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。寺蔵の由緒書によれば、赤野井あかのい村の石原新助が同行一五、六人を率い寛正五年(一四六四)頃に蓮如に帰依、正賢の法名を許され、十字名号を下付されたといい、その裏書に「阿伽井正賢」とあったという。元禄五年下寺開基帳に寛正五年に正賢により草創されたとあるのは、寺蔵親鸞絵像裏書の年記である同年五月一四日によったものと思われるが、裏書には「江州野洲南郡赤野井惣門徒中安置本尊也」とあり、当寺に下付されたものかどうかは未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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