福光町(読み)ふくみつまち

日本歴史地名大系 「福光町」の解説

福光町
ふくみつまち

面積:一六八・〇五平方キロ

県南西端にあり、西は南から北へ大門だいもん山・医王いおう山、蟹谷かんだ丘陵の稜線を隔てて石川県金沢市に接する。北は小矢部おやべ市・東礪波郡福野ふくの町、東は同郡井口いのくち村・城端じようはな町、南は同郡上平かみたいら村。南端大門山北東麓から流れ出る小矢部川が打尾うつお川・明神みようじん川などの支流を集めながら中央部をほぼ南から北へ貫流。東部を大井おおい川、東端山田やまだ川の二本の小矢部川支流がほぼ北へ流れ、北西部は小矢部川支流渋江しぶえ川の上流部にあたる。南半を五箇山ごかやま高清水たかしようず山地北側の山地、その北側を立野たてのはら丘陵、西部を医王山県立自然公園に属する山地が占め、北半の小矢部川とその支流沿いは礪波平野南西の一角を占める。平野部を南東から北西へ国道三〇四号が通り、北東端を東海北陸自動車道が南北に縦貫する。また北東を南東城端から北東福野町へとJR城端線が走り、越中山田・福光の二駅が設けられている。

東部の山田川が形成した扇状地には宗守むねもり遺跡・竹林たけばやし遺跡・徳成とくなり遺跡・東殿ひがしとの遺跡・うずらやま遺跡など縄文時代の遺跡が点在し、市街地西側の小矢部川左岸にも五瀬ごせ遺跡や天神てんじん遺跡などの同時代の遺跡がある。渋江川に面する山麓の台地上の遺跡人母下山ひとぼしもやま遺跡は縄文時代早期の遺跡として著名で、ほかに旧石器時代の遺物も採集されている。立野ヶ原丘陵上では広い地域で調査が行われたこともあって多くの遺跡が確認された。旧石器時代の遺跡として立美たつみ遺跡・中尾台なかおだい遺跡・鉄砲谷てつぽうだに遺跡、縄文時代の神明原しんめいばらA遺跡・立美B遺跡などがある。律令制下では礪波郡に属した。「延喜式」神名帳所載の礪波郡の「ウハラノ神社」を岩木のいわきのうばら神社に比定する説があり、また同書兵部省諸国駅伝馬条にみえる坂本さかもと駅の所在地を坂本地区に比定する考え方もある。波神社裏山には礪波郡の豪族利波臣志留志の墓とされる塚が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報