神葬祭(読み)シンソウサイ

デジタル大辞泉 「神葬祭」の意味・読み・例文・類語

しんそう‐さい〔シンサウ‐〕【神葬祭】

神道様式で行われる葬儀神葬

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精選版 日本国語大辞典 「神葬祭」の意味・読み・例文・類語

しんそう‐さい シンサウ‥【神葬祭】

〘名〙 神道の儀式にのっとって行なわれる葬祭神式による葬式。神葬。
※徳川幕府寺社奉行記録‐六二・寛政四年(1792)子二月(古事類苑・礼式一九)「神葬祭次第願出証状は不相願者有之候」

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改訂新版 世界大百科事典 「神葬祭」の意味・わかりやすい解説

神葬祭 (しんそうさい)

神道式の葬祭(葬式と祭祀)をいう。仏葬儒葬(じゆそう)に対する名称。神道では古来死を穢れとして忌避するが,死者霊魂は浄化すればやがて祖霊として神にまつられるという思想にもとづき,遺体を埋葬する前に遷霊祭を執行して位牌(霊璽みたましろ))に霊魂を憑(よ)り移らしめ,1年後の忌明けに祖霊へ合祀するのを原則とする。現行の神葬祭は近世の後期に排仏思想が高まるにつれて当時の仏葬祭に対抗して神道家や国学者が考案したものにもとづく。先駆的には徳川光圀が《神道集成》に神葬祭の儀式を編入してその普及を図り,神祇伯の吉田家も配下神職とその嫡子の神葬祭を幕府に認めさせた。近世後期には国学の普及とともに全国各地の神職から神葬祭復興の運動が盛り上がり,明治維新後の廃仏毀釈の風潮のなかで政府は1872年(明治5)に初めて公式に神葬祭を認め,青山墓地などを造成してその普及を奨励した。当時各地での廃寺や離檀の動きに合わせて神葬祭が民間に広まったが,82年のいわゆる神官教導職分離令を契機にその動向も収まった。
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百科事典マイペディア 「神葬祭」の意味・わかりやすい解説

神葬祭【しんそうさい】

神道方式によって行う葬儀。1872年大教院が制定した〈葬祭略式〉にのっとって行われ,それが一般化した。納棺祭・移霊祭・棺前祭・墓前祭・帰家祭などを行い,死後50日までは10日ごとに霊前・墓所をまつり,のち先祖の霊舎(みたまや)に合祭する。以後100日祭,年祭として1年・3年・5年・10年〜50年(10年ごと)祭,次に100年祭,以後毎100年の祭を行う。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神葬祭」の意味・わかりやすい解説

神葬祭
しんそうさい

神道の儀式によって行う葬祭。神葬,神道葬祭ともいう。仏葬,儒葬に対する名称。明治の神仏分離以降行われるようになった。遺骸を墓所に葬る前の前儀とそれ以後の後儀とに分れる。

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