神田下村(読み)かんだしもむら

日本歴史地名大系 「神田下村」の解説

神田下村
かんだしもむら

[現在地名]豊北町大字神田

豊浦郡の西北端に位置し、東は阿川あがわおよび滝部たきべの両村、南は神田上村にいずれも一〇〇メートル前後の小山で境し、西は海岸線が長くひびき灘の北域を画してつの島に相対する。北は油谷ゆや湾口に近く日本海を望む。村内には肥中ひじゆう特牛こつといの両浦がある。萩藩領で先大津宰判に属する。

和名抄」に「神田郷」とあり、中世には神田別府の名でもよばれ、慶長五年(一六〇〇)以降の検地帳では「神田郷」として高付されるが、その範囲には神田上村・矢玉やだま浦なども含まれている(→神田上村

「地下上申」で初めて分村され、神田下村が独立した。同書は地名の由来を、「神田と申ハ往古一ノ宮八幡宮御供田八十町付居申之由、其因縁を以神田と申習し候、下村と申は神田上村ニ対シ神田下村と地下人申伝候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報