恵美須神社(読み)えびすじんじや

日本歴史地名大系 「恵美須神社」の解説

恵美須神社
えびすじんじや

[現在地名]東山区小松町

大和やまと大路(建仁寺町通)の西側にあり、蛭子えびすとも記した。鳥居・拝殿・本社ともに東に向き、大和大路に面する。旧郷社。「山州名跡志(正徳元年刊)に「蛭子社、在建仁寺中門外、町西方、社東向、所、蛭子神一坐」、「京都府地誌」に「式外村社、小松町除地ニアリ。(中略)建仁年間、建仁寺建立ノ時、僧栄西勧請ス。初メ寺内ニ在」とあり、建仁けんにん寺の鎮守として境内にあったが、応仁元年(一四六七)戦火に焼かれた建仁寺が再興するに際し現在地に移ったという。折から福神信仰が一般に高まり、祇園ぎおん旅所の冠者かんじや殿(現京都市下京区)と並んで商売の神として信仰を集めて今日に至る。創祀にまつわる伝説を「都名所車」(正徳四年刊)は「栄西禅師入唐の時、舟中俄に波風あらく吹て、舟中の人々おどろきさわぐ折ふし、禅師少もさわぎ給はず海上にむかひて拝し給へば、いづくともなくゑびすの神体あらはれ給ひ、舟のへさきに立給ふと、たちまち波風しづまりければ、それより御すがたをうつしとゞめて帰朝の後、当寺の鎮守となし給ふ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報