神梅城跡(読み)かんばいじようあと

日本歴史地名大系 「神梅城跡」の解説

神梅城跡
かんばいじようあと

[現在地名]黒保根村宿廻 城

渡良瀬川右岸、黒川くろかわ谷の入口にあたる宿廻の城しゆくめぐりのじようにあった戦国期の城跡。宿廻およびその南の上神梅かみかんばい・下神梅(現山田郡大間々町)を江戸初期まで深沢ふかざわといい、城地区を江戸時代にも深沢とよんだため深沢城とも称する。

築城時期・築城者とも不明だが、神梅郷を拠点とした阿久沢氏を中心とする神梅衆の寄居として築かれたものと推定される。天正二年(一五七四)三月一三日の上杉謙信書状(西沢徳太郎氏所蔵文書)によると、深沢の阿久沢兄弟を降した上杉勢は深沢を支配下に置いている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報