寄居(読み)よりい

精選版 日本国語大辞典 「寄居」の意味・読み・例文・類語

より‐い ‥ゐ【寄居】

[1] 〘名〙
① (━する) 物によりかかること。また、近寄ってすわること。
※夜の寝覚(1045‐68頃)二「あなたの格子の面によりゐよりゐし給ふなかにも」
② 中世の城下町が、城主衰滅のために農村に変じて一集落をつくったもの。
城塞
※上杉家文書‐永祿一二年(1569)三月二七日・沼田三人衆連署状「如其賀野之寄居へ之説も同前御座候」
[2] 埼玉県北西部の地名荒川秩父山地から関東平野に出る地点に形成された谷口集落。中世、上杉氏の家臣藤田氏の城下町として発展。JR八高線、秩父鉄道、東武東上線が通じる交通の要衝。鉢形城跡などがある。

き‐きょ【寄居】

〘名〙 他人の家に身を寄せること。寄寓。寄食。
※興津彌五右衛門の遺書(1913)〈森鴎外〉「壮年に及びて〈略〉佐野官十郎方に寄居(キキョ)いたし居候」 〔漢書‐息夫躬伝〕

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デジタル大辞泉 「寄居」の意味・読み・例文・類語

き‐きょ【寄居】

[名](スル)他人の家に一時身を寄せること。寄寓きぐう。寄食。「先輩の家に寄居する」

よりい【寄居】[地名]

埼玉県北部、大里郡の地名。荒川が秩父山地から関東平野に出る谷口に位置する。もと城下町。鉢形城跡などがある。

より‐い〔‐ゐ〕【寄居】

近世初頭の兵農分離により、城主が農村を離れて城下町に移ってのち、農民だけの集落として残ったもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「寄居」の意味・わかりやすい解説

寄居[町] (よりい)

埼玉県北西部,大里郡の町。人口3万5774(2010)。秩父山地の東麓に位置し,町域の大部分は台地である。中心集落の寄居は荒川の河岸段丘上に発達した谷口集落で,中世には鉢形城が築かれた。江戸時代に入って城は廃されたが,鎌倉街道秩父往還の市場町として,絹や穀物,木材の取引で栄えた。古くから養蚕と酪農が盛んであったが,近年は植木栽培や施設園芸も行われている。JR八高線,秩父鉄道線,東武東上線をはじめ,国道140号,254号線が交わる県北西部の交通の要地で,商業活動が盛んである。景勝地の玉淀や円良田(つぶらだ)湖,鉢形城跡(史),正竜寺の北条氏邦夫妻墓,古代の末野(すえの)窯跡などがあり,行楽地としても知られる。西部の山間にある風布(ふつぷ)や小林のミカン栽培は戦国時代に小田原から伝えられたものといわれる。
執筆者:

寄居は,武蔵七党の一つ猪俣党の本拠地で,その流れをくむ藤田,山崎,桜沢,飯塚,用土,男衾(おぶすま)などの中世武士が周辺に割拠していた。1476年(文明8)関東管領上杉顕定の家臣長尾景春が荒川右岸に鉢形城を築き,主家に背いて反乱を起こしたが,まもなく太田資長(道灌)に攻められて退去した。その後,上杉氏の重臣藤田康邦が居城したが,やがて小田原北条氏の支配に服し,北条氏康の三男氏邦が城主となり,北武蔵における北条氏の重要な軍事的拠点となった。1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻略に際し,前田利家,上杉景勝らに攻められて同年6月落城した。徳川家康は関東入国にあたり,腹心の成瀬・日下部両氏を代官として派遣したが,のちに幕府領となった。鎌倉街道や秩父往還に沿った交通・運輸の要衝で,物資の集散地としてにぎわった。
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普及版 字通 「寄居」の読み・字形・画数・意味

【寄居】ききよ

かりに住む。寓居。魏・曹植〔仙人〕楽府 俯して五嶽のるに 人生は寄居の如し

字通「寄」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の寄居の言及

【鉢形】より

…埼玉県大里郡寄居町の地名。中世・近世には男衾(おぶすま)郡のうち。…

※「寄居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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