日本大百科全書(ニッポニカ) 「神坂雪佳」の意味・わかりやすい解説
神坂雪佳
かみさかせっか
(1866―1942)
工芸図案家。明治以降その道の第一人者。本名は吉隆。慶応(けいおう)2年1月12日、京都粟田(あわた)の士族として生まれる。1881年(明治14)鈴木瑞彦(ずいげん)について四条派の絵を学んでいたが、90年岸光景に師事し各種工芸意匠図案および工芸製作の組織を研究し、かたわら光琳(こうりん)派の画風を修学した。99年京都市選任技師となり、1901年(明治34)にはグラスゴー博覧会に際して渡欧、05年京都市美術工芸学校教諭、07年には佳都美(かつみ)会を創立して工芸図案界に貢献した。以後各種の工芸展に審査員として活躍した。23年(大正12)叙従(じゅ)六位、37年(昭和12)にはフランスよりオフィシェーカンボジュ勲三等章を贈られた。38年から京都美術館の評議員。昭和17年1月4日京都嵯峨野(さがの)の自宅で死去した。享年75。神坂雪佳の諸種工芸図案は、洋の東西を超えた表現の、明快、適切な図案で、わが国近代工芸に曙光(しょこう)を与え、方向を示した。製作図案はきわめて多く、あまたの図案集に収められている。主要著書に『蝶(ちょう)十種』『海路』など。
[神谷栄子]