神保郷(読み)じんぼうごう

日本歴史地名大系 「神保郷」の解説

神保郷
じんぼうごう

臼井うすい庄にあった郷で、郷内の村名により現船橋市の神保・大神保おおじんぼう地区を含む北部から八千代市北西部にかけての一帯に比定される。建久期(一一九〇―九九)の遷宮用途注進状(香取神宮文書)に神保郷とみえ、香取神宮の式年遷宮で遷宮用途・覆勘使例禄引物雑事を負担する郡郷の一つとして籾三〇石・布五段・絹一疋が割当てられている。寛元元年(一二四三)一一月一一日の造宮所役注文写(同文書)では香取社の勢至殿社一宇の造営を当郷役として千葉介が負担、文永期(一二六四―七五)と推定される造宮記録断簡(同文書)でも勢至殿のうち一間分の葦葺が神保郷本役として作料官米三〇石が充てられ、地頭千田尼の造進とし、康永四年(一三四五)三月の造宮所役注文(同文書)では仁保代枝役所、地頭大隅守跡とあり、遷宮のたびに勢至殿社の修造にあたっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報