碇田村(読み)いかりだむら

日本歴史地名大系 「碇田村」の解説

碇田村
いかりだむら

[現在地名]雄和町碇田

村の中央を雄物川の支流新波あらわ(碇川)が北流し、北に新波村、南に萱沢かやがさわ村が隣接する。クネゾヱ・中村なかむら宮の前みやのまえ山田やまだ梵天野ぼんてんのに小集落が散在し、それを結ぶ道(現県道本荘―西仙北角館かくのだて線)が通っている。

慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に、大正寺だいしようじ郷の一村として「猪狩田村」と記される。寛永二年(一六二五)の高は四〇七石余、免五ツ高(油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写)。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録に「錠田村 水損所、柴山有」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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