石見郷(読み)いわみごう

日本歴史地名大系 「石見郷」の解説

石見郷
いわみごう

和名抄」所載の郷。東急本の訓は「伊波美」。「播磨国風土記」に石海いわみ里がある。地名は孝徳天皇のとき百便の野に百枝の稲が生えた。そこで安曇連百足がその稲を献上したところ、天皇は安曇連太牟を遣わし荒野の開発を命じた。その際に石見(国か)の人夫を動員して開墾させた。これにちなんで荒野を百便ももたりと称し、村を石海と称することにしたという。安曇連百足の名は当郡浦上うらかみ里の条にもみえる。

石見郷
いわみごう

「和名抄」の揖保郡石見郷の郷名を継承し、現岩見構いわみがまえを遺称地とする。「看聞日記」応永二三年(一四一六)一一月二一日条に石見郷とみえ、播磨国衙別納のうちにあり、栄仁親王(崇光院皇子)の菩提料所として大光明だいこうみよう(当時は現京都市伏見区)に寄進された。同書同二四年二月二二日条には百箇日忌のために当郷代官から五〇〇疋が進上されている。石見郷など播磨国衙領は鎌倉期から持明院統皇室料所で、崇光上皇が伝領したが、上皇の死後は後小松天皇領に召上げられた。所領を失った栄仁親王が出家したと聞いた後小松天皇は当郷を含む国衙別納一〇ヵ所を返還している(椿葉記)

石見郷
いわみごう

「和名抄」所載の郷。諸本とも石見と記し、ともに訓を欠く。現浜田市長浜ながはま町・長沢ながさわ町・黒川くろかわ町・浅井あさい町・原井はらい町・相生あいおい(大日本地名辞書)、または現浜田市原井町・浅井町・長沢町・黒川町三階さんがい町、現金城かなぎ七条しちじよう下来原しもくるばら・上来原に比定される(島根県史)。「延喜式」神名帳所載の石見天豊足柄姫命神社と大祭天石門彦神社の同名社などがこの地区にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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