デジタル大辞泉
「石川郎女」の意味・読み・例文・類語
いしかわ‐の‐いらつめ〔いしかは‐〕【石川郎女/石川女郎】
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いしかわ‐の‐いらつめ【石川郎女】
[一] 久米禅師と歌を贈答した女性。「巻二‐九七・九八」の
作者。
[二]
大津皇子の贈歌に対して答えた女性。「巻二‐一〇八」の作者。
[三] 日並皇子
(ひなめしのみこ)と歌を贈答し、字を大名児
(おおなこ)という女性。「巻二‐一一〇」の
題詞に見える。
[四] 大伴田主に求婚し拒絶された女性。あるいは大名児と同人か。「巻二‐一二六・一二八」の作者。
[五] 大伴安麻呂の妻で
坂上郎女の母。石川朝臣
(あそみ)、石川命婦
(ひめとね)、石川内命婦、邑波
(おおば)ともいう。「巻二‐一二九」の作者。
[六] 藤原宿奈麻呂朝臣の妻。「巻二〇‐四四九一」の左注に見える。
[
補注](二)(三)(四)は同一人かといわれている。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
石川郎女 (いしかわのいらつめ)
万葉歌人。生没年不詳。字を大名児(おおなこ)といい,7世紀末の天武・持統朝に草壁皇子,大津皇子に愛され,約20年後の藤原朝末期に大伴田主(おおとものたぬし)・宿奈麻呂(すくなまろ)兄弟に思いをかけた歌をよんでいる。石川郎女の相手はいずれもそのころの代表的な貴公子,美男で,そうした男性と浮名を流した女性として聞こえていたらしい。《万葉集》には8首の石川郎女の相聞歌があり,相手の男性は7名にのぼるが,すべてを同一人の作と見ることは困難である。そのなかには,上記とは同名異人の作,さらに上記の石川郎女が情話の主人公として伝承される過程で生じた虚構が含まれるものと考えられる。
執筆者:阪下 圭八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
石川郎女
いしかわのいらつめ
『万葉集』の歌人。集中、石川郎女(女郎)と表記される人物が多く、それぞれ同一かどうか古来論議の的となってきたが、(1)天智(てんじ)朝(661~671)に久米禅師(くめのぜんじ)と贈答した人、(2)持統(じとう)朝(686~697)に大津(おおつ)皇子、草壁皇子と贈答した人、(3)文武(もんむ)朝(697~707)に大伴田主(おおとものたぬし)、大伴宿奈麻呂(すくなまろ)と贈答した人、の3人に分ける説が穏当であろう。(1)には恋の掛け合いの巧みさがみられ、(2)には政治的な抗争を背景とする両皇子への恋物語的な興味が寄せられ、(3)には歌のやりとり自体の社交的なおもしろみが込められている。(1)(2)(3)はそれぞれの時代の恋歌表現の典型を示しているとみられる。
[鈴木日出男]
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