知覧町(読み)ちらんちよう

日本歴史地名大系 「知覧町」の解説

知覧町
ちらんちよう

面積:一二〇・一九平方キロ(境界未定)

加世田市と枕崎市によって東西に二分された川辺郡の東側南東部に位置する。薩摩半島のほぼ中央南部にあたる。北は鹿児島市、東は揖宿いぶすき喜入きいれ町・頴娃えい町、西は川辺町・枕崎市に接し、南は東シナ海に面している。北東部にはははヶ岳(五一七メートル)など標高五〇〇メートル前後の山々が連なり、南西に向かって緩やかに傾斜が続く。北部を厚地あつち川・ふもと川、中央部を永里ながさと川が西流し、それぞれの流域沿いに水田が開ける。南部には南薩なんさつ台地が広がり、第二次世界大戦後の農業構造改善事業により茶業と畜産を中心とした農業が行われている。最南部をJR指宿枕崎線が東西に走り、これとほぼ並行して国道二二六号が走る。

町域の多くは山間部にあるため、縄文時代早期など古い時代の遺跡が多い。旧石器時代のナイフ形石器文化と細石器文化の石器が、塩屋の登立しおやののぼりたて遺跡と永里の石坂上いしざかうえ遺跡から出土。縄文草創期の丸鑿形石斧が郡の八反畑こおりのはつたんばた遺跡で出ている。早期の遺跡は厚地のヤシキデラ、郡の八反畑・打出口西うちでぐちにし、永里の石坂上・永野ながの東別府の和田前ひがしべつぷのわだまえ浮辺うきべ、および登立遺跡などが知られ、とくに塞ノ神式土器の出土している遺跡は二〇ヵ所を超す。前期の遺跡は郡の下郡しもごおり・打出口西などにあるが、早期の遺跡数に比べると激減する。中期はさらに少なく、後期になっても八反畑、東別府の二ッ谷ふたつだになど数は少ない。弥生時代の遺跡は麓川や永里川流域の台地に存在しており、八反畑・厚地前田あつちまえだ、郡の豊玉姫とよたまひめ神社などの遺跡では石包丁も採集されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報