矢部貞治(読み)やべていじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢部貞治」の意味・わかりやすい解説

矢部貞治
やべていじ
(1902―1967)

政治学者。鳥取県生まれ。1926年(大正15)東京帝国大学法学部卒業。39年(昭和14)東大教授、政治学担当。昭和研究会に参加。近衛文麿(このえふみまろ)のブレーンとなり「新体制運動」の原案を作成。大政翼賛会陸軍に牛耳(ぎゅうじ)られるや海軍と協力、ファッショ阻止の活動を行う。敗戦後、東大辞任。占領期間中は著述没頭。『民主政機構の基礎原理』(1947)、『民主主義本質価値』(1949)、『政治学』(1947)、『近衛文麿』上下(1952)など刊行。占領解除後、早稲田(わせだ)大学大学院講師、拓殖大学総長(1955~64)。選挙制度調査会、中央教育審議会、憲法調査会などの委員を務めた。憲法改正論者であり、マルクス主義への鋭い批判で知られ、保守の理論家として活躍した。

[村田克己]

『『矢部貞治日記』全四巻(1974・読売新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢部貞治」の解説

矢部貞治 やべ-ていじ

1902-1967 昭和時代の政治学者。
明治35年11月9日生まれ。昭和14年母校東京帝大の教授となる。近衛文麿のブレーンとなり,新体制運動の原案を作成する。敗戦後東京帝大教授を辞任。30年拓殖大総長。憲法改正論をとなえた。昭和42年5月7日死去。64歳。鳥取県出身。著作に「民主主義の本質と価値」「近衛文麿」など。

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