矢越村(読み)やごしむら

日本歴史地名大系 「矢越村」の解説

矢越村
やごしむら

[現在地名]尾花沢市富山とみやま

高橋たかはし村の北西丹生にゆう川支流赤井あかい川流域に位置し、北東関谷せきや村。谷越とも記した。元和八年(一六二二)山形藩領、寛永二〇年(一六四三)幕府領となり、安政二年(一八五五)より松前藩預地。寛永一三年の保科氏領知目録に村名がみえ、高一一四石余。正保郷帳では田方一〇二石余・畑方一二石余。宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内覚帳(二藤部文書)によると高七七石余、家数一二・人数六七、馬二。三沢山(銀山)の留山一ヵ所がある。天明八年(一七八八)の村明細帳写(柳橋文書)によれば家数一五・人数五六、馬四。小物成として草山年貢永八五文、漆・漆実代永六九文などを上納し廻米の津出しは道程三里余の大石田おおいしだ河岸(現北村山郡大石田町)を利用する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報