矢目村(読み)やのめむら

日本歴史地名大系 「矢目村」の解説

矢目村
やのめむら

[現在地名]会津坂下町へい

四方田園が開け、西は水島みずしま村、東は上金沢かみかなさわ村・下金沢村で、村内を牛沢うしざわ堰・栗村くりむら堰が流れる。建武三年(一三三六)四月二五日の沙弥某預ケ状(遠藤白川文書)に「預申所領、陸奥国岩瀬郡袋田村、并会津稲河庄内矢目村事」とあり、恩賞として蒲田五郎太郎兼光に与えられている。元亀元年(一五七〇)三月日の栗村堰用水契状案(新編会津風土記)があり、栗村堰開削に際し、水下村々は当村と金沢村に永久用水証文を与えている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二九九石余。寛文五年(一六六五)の「稲河領牛沢組郷村万改帳」では矢野目村とあり、本田高二五九石余・新田高一八石余、免三ツ二分余、家数二五、竈二九、男七二・女五一、馬一三、小物成に綿役・糠藁・足前・山役があり、ほかに役漆木四本余、役蝋九八匁があり、「莚ヲ織、縄ヲナイ、鞋ヲ作リ商売ス」とある。

矢目村
やのめむら

[現在地名]古川市

志田郡の西端、多田ただ川の支流に挟まれた水田地帯にあり、北と東は飯川いいがわ村、南は引田ひきだ村、西は加美かみ平柳ひらやなぎ村・雑式目ぞうしきのめ(現中新田町)と接する。正保郷帳に田一三貫九九九文・畑五二三文とあり、ほかに同所新田二六貫八九八文があり、水損と注記される。「封内風土記」の戸数は三六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報