矢根庄(読み)やねのしよう

日本歴史地名大系 「矢根庄」の解説

矢根庄
やねのしよう

京都上賀茂社領庄園で、出石川流域の矢根一帯に比定される。初見は「経俊卿記」建長八年(一二五六)八月三日条で、京都下鴨社領土野はにの(現出石町)との境相論が院の評定で審議され、「人々申云、任記録所本勘文、重遣官使并両社使、可被実検、延久官符、寛治立券片文可尋官底」と記されている。延久元年(一〇六九)の庄園整理令以前に成立していた可能性があるが、関係史料は残されていない。ちなみに土野庄は寛治四年(一〇九〇)の立券である。また土野庄と境を接していたことが判明する。実検使の派遣は初め下鴨社側が拒否し、次いで上賀茂社も実検使費用の折半を拒否したため延引したようで、正嘉元年(一二五七)七月にも「両庄堺実検」が院評定で議せられているが、結末は明らかではない(同書康元二年三月一六日条・正嘉元年四月一七日条・同年七月二六日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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