相馬半治(読み)そうま はんじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬半治」の解説

相馬半治 そうま-はんじ

1869-1946 明治-昭和時代前期の実業家
明治2年7月8日生まれ。欧米に留学し製糖業を研究。帰国後,母校東京高工(現東京工業大)教授。明治39年明治製糖の創立にくわわり,専務となる。台湾での製糖事業を推進し,大正4年社長,のち会長。昭和21年1月7日死去。78歳。尾張(おわり)(愛知県)出身旧姓田中

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の相馬半治の言及

【疑獄】より

…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…

【明治製菓[株]】より

…第1次大戦によりヨーロッパからの菓子輸入が途絶するという状況下,洋風菓子の国産化を目的として1916年東京菓子(株)として設立された。一方,明治製糖(1906設立)の社長,相馬半治(1869‐1946)も同年大正製菓(株)を設立したが,東京菓子は17年同社を合併,また20年には房総練乳(1916設立)を合併して製乳事業に進出した。24年明治製菓(株)と改称。…

※「相馬半治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」