相浜村(読み)あいのはまむら

日本歴史地名大系 「相浜村」の解説

相浜村
あいのはまむら

[現在地名]館山市相浜あいはま

大神宮だいじんぐう村の西、ともえ川の河口左岸に位置し、西は海に臨む。「あいはま」ともいう。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高一三石余(うち田五石余)、同一五年の里見家分限帳によると里見氏直轄地。検地は元和四年(一六一八)に行われ、反別は田三反余・畑二町二反余(安政五年「村明細帳」千葉県史料)。寛永一〇年(一六三三)旗本酒井領となる(岡崎家文書)正保郷帳では田高六石余・畑高九石余、元文村高帳でも酒井領で、文化七年(一八一〇)には陸奥白河藩領。文政八年(一八二五)の年貢割付状(相浜漁協文書)では幕府領。天保一三年(一八四二)武蔵忍藩領となる(同一四年忍藩領郷村高帳)房陽郡郷考でも同藩領で家数一二六。嘉永七年(一八五四)の岡山藩房総預地村高帳(池田家文庫)では備前岡山藩の預地。旧高旧領取調帳によると幕末には幕府領で、明治元年(一八六八)長尾藩領となった。酒井氏が領主であった時代には同氏知行地を支配する役所が当地に置かれていた。慶安四年(一六五一)北条藩による平砂へいさ浦の海岸間地改では当村船出入場の家数二三(安房郡水産沿革史)

相浜村
あいはまむら

[現在地名]佐久市大字伴野ともの 相浜

蓼科たてしな山の東北麓が千曲川に落ち込む高台上にある強粘土質の土地。元来、矢島原やしまはらとよばれた原野東端水利に恵まれない地域。西北五郎兵衛新田ごろべえしんでん御馬寄みまよせ村(ともに現北佐久郡浅科あさしな村)、南は平井ひらい村、東は下県しもがた村に接する。

寛永二年(一六二五)二月の松平忠憲老臣等連署状(木内文書)に「八幡町之内あいばま荒地、矢嶋之内石付分荒地」とあり、この頃から開発が始められ、正保四年(一六四七)頃下県村から独立した(下県・同新田史稿)。寛文元年(一六六一)相浜新田丑免相定事(相沢区有)では七一石余の村高が、元禄一四年(一七〇一)には一四六石余(「信濃十郡高付帳」南佐久郡誌)と倍増する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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