日本歴史地名大系 「町石道」の解説
町石道
ちよういしみち
古く高野山の政所があった慈尊院から高野山上に至る代表的登山道。一町ごとに山上までの町数を記した卒塔婆状の石造道標があるところから
通行の記録としては、寛治二年(一〇八八)の「白河上皇高野御幸記」が古く、参詣道の路頭に町数を記した卒塔婆札が立っていたことがわかる。また山上でも壇上伽藍から奥院までの三六町間に同様に三七本の卒塔婆が建てられていた。寛治三年成立の「弘法大師行状集記」にもみえるので、当時、町石の前身である木製の道標があったことは確かである。町卒塔婆の前身はおそらく
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報