甲斐庄・伏見庄(読み)かいのしよう・ふしみのしよう

日本歴史地名大系 「甲斐庄・伏見庄」の解説

甲斐庄・伏見庄
かいのしよう・ふしみのしよう

錦部にしごり郡南部一帯にあった山城石清水いわしみず八幡宮寺領庄園。初見は延久四年(一〇七二)九月五日付、石清水八幡宮寺宛に記録庄園券契所の審議結果を伝える太政官牒(石清水文書)。旧のごとく領掌することを認められた河内国七ヵ所中に「壱処 字甲斐伏見庄 錦部郡」と所見。この太政官牒の引く貞元二年(九七七)八月二五日付石清水八幡宮寺牒によれば、もと故入道式部卿親王領で、親王の生前、常灯料として石清水八幡宮寺に寄進されてすでに年序を経、代々国司が八幡宮寺領として認めてきたところとされ、当国司もこれを支持したので、改めて同寺領として確認された。

甲斐・伏見庄(布志見庄)と併称されるものの、坪付などは両庄を分けて記載されている。まず甲斐庄は、葦谷山四八町九反・甲斐宅一処・今宅一処・東宅一処・御敷野栗林四町・佐太山地一二町・佐美蘇河会山地五八町・新居地山一町三反・栗原里二坪八反・上原山地二反・岡本地林一町五反・郡殿栗林二町・辻山地四反・豊国殿地二反・大栗栖地一町・大井山地五町八反一二四歩・高田地五反、さらに宮道里・社里・狭田里・久保田里・堅田里外にわたって計七町五反二二歩の田畑、また一二条天野里九坪・一六坪八反、葦谷西四至内字向栗栖地二反、川会山西辺地一町五反、字東平野北畑三反、同西平野畑三反、同南少平野畑六反、同東平野南畑三反、文有行畑三反・字窪宅地三反・門田里四反と記載される。いっぽう伏見庄は槻本里・川原里・山守里・中島里外・同正里・猪垣里・蝦野里・萩原里・向江・井尻里・大野里・門田里・佐田里外・久保田里・天野里・畠田里・山田里にわたって計五町二反二五九歩の田地が記載される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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