田麦村(読み)たむぎむら

日本歴史地名大系 「田麦村」の解説

田麦村
たむぎむら

[現在地名]中野市大字田麦

長丘ながおか丘陵の東側に南北に位置し、北は厚貝あつかい、南は七瀬ななせ、東は荒井あらいの各村に続き、西は丘陵を隔てて大俣おおまた村に接している。

慶長七年(一六〇二)森忠政検地の村高は一三八石七斗七合、次いで福島正則検地の元和七年(一六二一)には二九四石九斗五升七合となっている。支配は上杉景勝の移封以後、関一政―森忠政―皆川広照―堀直寄―幕府領―福島正則―幕府領―松平忠倶・同忠喬―幕府領―青山幸侶―本多助芳―幕府領等の交代を経た。

田麦村
たむぎむら

[現在地名]大島村田麦

西は板山いたやま村、北東みね村。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では「直峯分たもき村 下」とあり、現在も地元ではたもぎという。本納二二石四斗八升・縄高三二石六斗六合六勺、家七軒・二五人。正保国絵図では高八〇石余。天和三年郷帳では高九〇石余、うち山高一石八斗二升一合・漆高四斗一升・青苧高一石七斗二升六合、反別田・畑屋敷・山林合せて一〇町二反余、青苧畑四反余で、漆木四一本。安永九年(一七八〇)新田検地では高一四九石六斗余であったが、山間の切添地にまで竿入したので年貢上納が困難だとして、寛政元年(一七八九)に再検地願(村松千秋氏蔵)を出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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