田野沢村(読み)たのさわむら

日本歴史地名大系 「田野沢村」の解説

田野沢村
たのさわむら

[現在地名]深浦町田野沢

北は日本海に面し、道路が海岸沿いに発達し、東はかも村、西南晴山はれやま村に通じる。村の東の大戸瀬おおどせ崎に千畳敷せんじようじきとよばれる海岸段丘がある。寛政四年(一七九二)一二月の大地震(国日記)海食台地が二メートル余も隆起したもので、畳を千枚ほども敷きつめたように平らで広いことからこの名がある。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の鼻和はなわ郡に七・三石とあり、うち田方は六・七九石。「折曾乃関」には天和年間(一六八一―八四)本田野沢もとたのさわ村と田野沢新田からなり、家数一一、塩釜二ヵ所があったという。

田野沢村
たのさわむら

[現在地名]川内町川内 田野沢

陸奥湾に面し、東を田野沢川、西を高野こうや川が南流する。東は戸沢とざわ村、西は川内村と接する。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に田沢村とみえる。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に川内村のうちとして高二九・四石余とあるが、家数は城ヶ沢じょうがさわ(現むつ市)の項に記され、一六とある。

田野沢村
たのさわむら

[現在地名]新穂村田野沢

潟上かたがみ村の東、小佐渡山地の麓の洪積台地上にあり、水利は不便不足で水田用水に苦労した。溜池の数は十数ヵ所あり、近世に公儀普請によりできた溜池が多い。また仲間持ちの溜池もある。「佐渡風土記」所収の年欠の村々地頭領分之事によると、潟上城主本間喜本斎秀高領分八ヵ所の一。元禄七年(一六九四)検地帳(田野沢区有)では田二五町二反余・畑九町余、名請人七四人。地名は一七一筆。「佐州巡村記」では戸口は五五軒・二五三人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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