田邑郷(読み)たむらごう

日本歴史地名大系 「田邑郷」の解説

田邑郷
たむらごう

和名抄」高山寺本は「多无良」、刊本は「多無良」と訓ず。

文徳天皇死去したときの記事として「三代実録」天安二年(八五八)九月二日条に「至山城国葛野郡田邑郷真原岡、定山陵之地」とある。「延喜式」諸陵寮式の「田邑陵 平安宮御宇文徳天皇、在山城国葛野郡、兆域東西四町、南北四町、守戸五烟」に該当する。「陵墓要覧」では「文徳天皇 田邑陵 京都府京都市右京区太秦三尾町」とある。

また光孝天皇の死去に際しては「扶桑略記」仁和三年(八八七)九月二日条に「葬山城国葛野郡後田邑陵一云小松山陵」とあり、これは「延喜式」諸陵寮式に「後田邑陵 光孝天皇、在山城国葛野郡田邑郷立屋里小松原、陵戸四烟、四至、西限芸原岳岑、南限大道、東限清水寺東、北限大岑」と記されており、田邑郷の地に葬られたことがわかる。

田邑郷
たむらごう

「和名抄」にみえ、東急本に「多无良」の訓がある。現在遺存する地名から田邑郷の地域を確定することは困難であるが、「日本地理志料」は丹南郡太井たい(現南河内郡美原町)のあるのをあげ、「大日本地名辞書」は「松原村に大字田井荘あり。古の依羅屯倉の田部の邑ならん」とする。田部云々はともかく、地域としては後者の説が妥当であろう。「田井荘」は近世の丹北郡田井城たいじよう(現松原市)をさしていると考えられる。式内社の田坐神社の所在地もこの地とされる。

田邑郷
たのむらごう

「和名抄」高山寺本・刊本にみえるが、東急本は記載を欠く。高山寺本に「多乃无良」の訓がある。郷域は吉井川の小支流紫竹しちく川流域の小盆地を中心とする、現津山市上田邑かみたのむら・下田邑一帯と考えられる。下田邑の丘陵上に田邑丸山たのむらまるやま古墳群がある。八ないし九基からなり、帆立貝式の三号墳以外は円墳で、四世紀末から五世紀初頭の築造と考えられる。

田邑郷
たむらごう

「和名抄」高山寺本は「邑田」とあり訓を欠く。東急本には「田邑」とあり、「多無良」と訓じている。しかし郡内に田邑・邑田の地名は見当らない。郷域について「名跡考」は田室たむろ村とするが田室村については不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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