田島町(読み)たじままち

日本歴史地名大系 「田島町」の解説

田島町
たじままち

面積:三五〇・三四平方キロ

南会津郡の南東部に位置し、南は男鹿おが(一七七七・一メートル)荒海あらかい(太郎岳、一五八〇・四メートル)を結ぶ稜線によって栃木県塩谷しおや藤原ふじはら町、西は大平おおひら山・黒岩くろいわ山・台鞍だいくら山・駒止こまど峠を境に舘岩たていわ村・伊南いな村・南郷なんごう村、北は駒止高原・転石ころぶし峠・舟鼻ふねはな山・那須沢なすざわ山を境に下郷しもごう町と大沼郡昭和しようわ村、東は下郷町と栃木県黒磯市に接する。荒海山を源とする荒海川(阿賀川の上流)は、北流して田島市街地北西端で檜沢ひさわ(源流七ヶ岳・駒止高原)高野こうや(源流舟鼻山)を合せて東へ向きを変え、さらに市街地東端で水無みずなし(源流男鹿岳)を合せて下郷町へ流れる。町域の九割が山林で、わずかに阿賀川とその支流域に形成された小盆地に集落と耕地がある。東部と南部は斎藤さいとう(一二七八・三メートル)黒滝股くろたきまた(一四〇五・七メートル)家老かろう(一四一三・七メートル)などの急峻な山々が連なるが、北西部のななつヶ岳北麓より北、駒止高原・舟鼻山・那須沢山にかけてはなだらかな高原でここはかつてはブナの原生林で覆われていたが伐採され、現在は二次材が生長しつつある。

田島町
たじままち

[現在地名]熱田区新宮坂しんぐうさか

御所前ごしよまえ町の北端(下馬橋)から東へ入る筋で、先で南へ曲がり、総延長一四六間、その先に田島小路があった。尾張国熱田太神宮縁起(内閣文庫蔵)の応安二年(一三六九)本奥書に「尾張熱田社辺、南田嶋地蔵院」とみえ御器所ごきそ八幡宮(現昭和区)蔵の嘉吉元年(一四四一)の棟札に「大工熱田北田嶋住藤原重真」とみえる。

田島町
たしまちよう

[現在地名]南区たに町七丁目

宮崎みやざき町の南にあり、生玉いくたま筋の両側町。「天保町鑑」には「谷町筋南の端一筋西ノ丁、寺町口なり」とある。町名は明暦元年(一六五五)には堀之外島ほりのそとしま町といい、元禄七年(一六九四)に田島町となった(南区志)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一七・役数二二役で、うち年寄分一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報