田向村(読み)たむかいむら

日本歴史地名大系 「田向村」の解説

田向村
たむかいむら

[現在地名]平村田向

現平村の庄川最上流の村。同川右岸に位置し、対岸上梨かみなし村との間に籠渡しがあった。南の猪谷いのたに(現上平村)へは湯谷ゆだに川の橋を渡る(安政六年「湯谷川橋普請日懸り書上帳」田向区有文書)。東は断崖状の山地。雪崩防止の禁伐林を背にして集落がある。湯谷川は南方人形にんぎよう山の水域水源とし、当地で庄川へ合流する。流域は広く水量が豊富で、江戸時代には庄川上流に村領の山をもつ当村や上梨村、猪谷村小原おはら(現上平村)青島あおしま(現庄川町)の木材業者に立木を売り、業者は木呂流し(臼状太短材の川流し)をして河口へ出した(同文書)。上流は滝状の谷に分れ中流から緩やかとなる。ブナ材の密林をなしていた。

天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「上梨」(五箇山五谷の上梨谷)のうちに田向七郎右衛門尉・同掃部・同八郎三郎の名がみえる。寛永七年(一六三〇)の高一二〇石余(幕末まで変化なし)、免四ツ九歩余、定納金子二両三匁四分余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)

田向村
たむかいむら

[現在地名]八戸市田向

八戸城下の南東新井田にいだ川左岸に位置する。東は新井田村、西は中居林なかいばやし村、南は十日市とおかいち村・石手洗いしてあらい村、北は類家るいけ村に接する。元和四年(一六一八)知行目録に「拾四石壱升四合 田むかひ」「五拾八石七斗弐升三合 明村、田むかひ」「百八拾四石四斗三升 田向廻」「三百五石九斗七升 大石沢、田向新田」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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