生田の森(読み)イクタノモリ

デジタル大辞泉 「生田の森」の意味・読み・例文・類語

いくた‐の‐もり【生田の森】

生田神社境内にある森。源平合戦新田足利氏の古戦場

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精選版 日本国語大辞典 「生田の森」の意味・読み・例文・類語

いくた【生田】 の 森(もり)

神戸市三の宮の西、生田神社境内の森。平清盛が都とした福原の東大手門にあたる。元暦元年(一一八四)の源平合戦建武三年(一三三六)の足利、新田軍の合戦のあった所。
古今六帖(976‐987頃)二「いもがいへにいくたのもりの藤の花いまこん春もかくこそはみめ」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生田の森」の意味・わかりやすい解説

生田の森
いくたのもり

兵庫県南東部,神戸市中央区にある生田神社後方の森。治承4(1180)年福原遷都のとき,東の大手門が建てられた地という。元暦1(1184)年源平合戦が行なわれ,延元1=建武3(1336)年には足利尊氏がここで新田義貞を破り,京都進攻を決定づけた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「生田の森」の意味・わかりやすい解説

生田の森
いくたのもり

神戸市中央区にある生田神社社殿背後の森。古来名勝の地として歌に詠まれ、また平氏の根拠地であった一ノ谷(いちのたに)城の東の木戸口にあたっていた。1184年(元暦1)の一ノ谷の戦いでは源範頼(のりより)が攻撃した古戦場であり、また1336年(延元1・建武3)に九州から東上して京都を目ざした足利尊氏(あしかがたかうじ)が、新田義貞(にったよしさだ)の軍を破った古戦場としても知られている。

[新田英治]


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世界大百科事典(旧版)内の生田の森の言及

【生田神社】より

…1896年官幣中社となる。社地は源平の古戦場生田の森として知られ,境内には歌枕になっている生田の池,箙(えびら)の梅,敦盛の萩がある。杉盛神事,千灯祭の特殊神事がある。…

※「生田の森」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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