狐崎城跡(読み)きつねざきじようあと

日本歴史地名大系 「狐崎城跡」の解説

狐崎城跡
きつねざきじようあと

[現在地名]釜石市浜町一丁目

鳥谷とりや坂からはま町と天神てんじん町の間に挟まれて南に延びた尾根上にある城跡。基部は空堀で切られ、最高所に主郭(標高一二〇メートル)、続いて第二・第三の郭が段階状に設けられ、先端部は海際に達する。長さ約四二〇メートル・幅一〇〇メートル。釜石の集落と湊を守るため背後の山上に築かれた山城で、城主は狐崎玄蕃ともいわれるが、戦国末期には荒谷肥後がいた。「貞山公治家記録」に、慶長六年(一六〇一)七月七日「中島大蔵信方ヨリ南部領閉伊郡釜石邑ノ内狐崎城ヲ攻落ス由言上ス」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報