炬口城跡(読み)たけのくちじようあと

日本歴史地名大系 「炬口城跡」の解説

炬口城跡
たけのくちじようあと

[現在地名]洲本市炬口 宮ノ上続

炬口地区背後の山頂にある中世山城跡。山頂は標高九六・四メートルで殿土居とのどいとよばれている。城跡は洲本城の北約二キロにあって、山頂からは大阪湾を眺望できる。永正二年(一五〇五)安宅監物秀興により築かれたという(淡路草・味地草)。同一六年の淡路守護細川尚春滅亡時の騒乱の最中、先山千光せんこう寺の梵鐘が売却される事件が起きた。この鐘は安宅秀興により買戻され、千光寺に奉納されている(同年六月一五日付千光寺梵鐘銘)。また秀興の子吉安は城麓の炬口八幡神社に腹巻鎧を奉納したと伝える。しかし大永八年(一五二八)城主安宅次郎三郎が三好氏に謀反したため、淡路の国人蟇浦藤次や島田遠江守らによって城を追われた(同年四月一一日「三好元長感状写」阿波国徴古雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報