火立岩(読み)ほたていわ

日本歴史地名大系 「火立岩」の解説

火立岩
ほたていわ

[現在地名]廿日市町地御前

地御前じごぜん神社の西方灰床はいとこ山の海寄りの先端にあった岩山。現在は西広島バイパスの建設で消滅。厳島神社の管絃祭には、古来ここで管絃船の飾付をし、火をともすところから、火立岩あるいは仕立したて岩とも称された。「老翁物語」には「あこ立岩」とみえる。

天文二四年(一五五五)八月一七日付の毛利元就書状(「閥閲録」所収福井十郎兵衛家文書)に「下警固百艘計、至火立、押上相控之由候条」とあり、大内方の警固船が当地に滞留している。また厳島合戦直前の同年九月二六日付の毛利元就書状(「閥閲録遺漏」所収)には「沼田警固之事、今朝押出之由尤可然候、(中略)則河内警固相加、火立表へ可被出候」とあり、小早川氏の沼田警固衆と河内警固衆とがここに集結したことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報