瀬戸崎浦(読み)せとざきうら

日本歴史地名大系 「瀬戸崎浦」の解説

瀬戸崎浦
せとざきうら

[現在地名]長門市仙崎せんざきの一部

深川ふかわ村の東北、東は仙崎湾、西は深川湾に突き出した半島の海岸集落で、北には一キロ余の瀬戸を隔てて青海おうみ島がある。前大津宰判に所属する。

瀬戸崎の地名は、浦内にあった円融えんゆう(極楽寺に合併)観音堂の三十三体観音菩薩台座裏銘の一つに「長州大津郡深河庄瀬戸崎商人住人三宝弟子元幸禅門」「長門大津郡深川庄瀬戸崎住人妙珍禅人 寛正甲申五年五月廿日」などとあり、三条家の荘園であった深川庄域であったらしい。

天正一五年(一五八七)五月この地を通った細川幽斎紀行「九州道の記」に、

<資料は省略されています>

とあり、一行赤間関あかまがせき街道(北道筋)を進んでいる。

瀬戸崎浦は日本海沿岸航路の船舶出入港として早くより栄えた地で、慶長一五年(一六一〇)検地帳でも「瀬戸崎」として記され、総石高一千一九〇石余のうち田は一一町余で一二九石余、畠が一五町余で九一石余、百姓屋敷三〇と少ない代りに浦屋敷一八二で、浦浮役九一二石余が課せられている。漁業村落でもあったわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報